日本の国歌である「君が代」を歌ったり聞いたりする機会はあっても、「誰が作詞・作曲したのか」と疑問に思う方は多いのではないでしょうか。
結論からいうと、君が代は特定の誰か一人が作詞作曲した歌ではありません。
歌詞は平安時代の古い和歌に由来し、メロディや和音は日本の雅楽家や来日した外国人音楽家など、複数の人物が長い時間をかけて作り上げました。
この記事では、それぞれの人物がどのように君が代に関わったのかを詳しく解説します。
- 作詞者は『古今和歌集』の「読人しらず」
- 現在の旋律(メロディ)を作ったのは雅楽家の奥好義
- 作曲者として広く名が知られているのは林広守
- 西洋風の和音(ハーモニー)を加えたのはドイツ人のエッケルト
君が代の作詞者は誰?歌詞の起源と選ばれた理由

歌詞のルーツは古今和歌集の詠み人知らず
君が代の歌詞は、明治時代に新しく書き下ろされたものではありません。
平安時代に編纂された『古今和歌集』に収められている和歌がもとになっています。
原型の歌は、「我が君は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」という長寿や繁栄を祝う「賀歌(がか)」です。
この和歌の作者は「読人しらず(よみびとしらず)」とされており、特定の個人名は伝わっていません。
時代を経る中で、冒頭が「我が君は」から「君が代は」へと変化していきましたが、基本的には古くから伝わるお祝いの言葉がそのまま使われています。
千年の時を経て国歌の詞に選ばれた背景

なぜ平安時代の古い和歌が、近代日本の国歌の詞として選ばれたのでしょうか。
明治初期の日本では、西洋式の軍隊の導入や外交儀礼の整備が進み、国を代表する「国歌」が必要とされるようになりました。
その際、古くから長寿や永続を祝う歌として親しまれていた君が代の詞に白羽の矢が立ったとされています。
「さざれ石の巌となりて苔のむすまで」という表現は、小さな石が長い年月をかけて大きな岩となり、さらに苔が生えるほどの途方もない時間を象徴しています。
この永続性を願う思いが、近代国家の儀礼にふさわしいと判断されました。
なお、法的に「君が代」が国歌として正式に定められたのは、1999年に公布・施行された「国旗及び国歌に関する法律」によるものです。
君が代の作曲者は誰?旋律と和声を紡いだ4人の人物

君が代の作曲についても、一人の天才作曲家がすべてを作ったわけではありません。
現在の形になるまでには、大きく分けて4人の人物が関わっています。
| 関係者 | 主な役割 | 君が代との関わり |
|---|---|---|
| ジョン・ウィリアム・フェントン | 初代の作曲 | 明治初期に最初の君が代へ曲を付けたイギリス人 |
| 林広守(はやし ひろもり) | 雅楽側の責任者 | 作曲者として広く名前が伝わった人物 |
| 奥好義(おく よしいさ) | 実質的な旋律の作曲 | 現在の君が代につながるメロディを作った雅楽家 |
| フランツ・エッケルト | 和声・編曲 | 西洋風の和音を付け、吹奏楽で演奏できる形に整えたドイツ人 |
初期の作曲に挑んだ英国人フェントン

歌詞が選ばれた後、最初に君が代にメロディを付けたのは、イギリス人の軍楽隊長ジョン・ウィリアム・フェントンです。
明治3年(1870年)に作られたこの初代「君が代」は、西洋の音楽理論に基づいて作曲されました。
しかし、このフェントン版の君が代は、日本語の和歌の響きや、日本人が儀礼曲に求める感覚と合わなかったため、広く定着することはありませんでした。
その後、宮内省を中心にメロディの改訂作業が進められることになります。
雅楽の責任者として名が残る林広守

フェントン版に代わる新しい君が代の作成は、宮内省の雅楽に関わる人々によって進められました。
その際、作曲者として広く名前が知られるようになったのが林広守です。
現在でも、資料によっては「君が代の作曲者は林広守」と紹介されることがあります。
当時の雅楽や伝統芸能の世界では、個人の名前よりも「家」や「組織」の代表者の名前で作品を発表する慣習がありました。
林広守は雅楽組織の責任者であったため、完成した楽曲が彼の手によるものとして世に出たと考えられています。
実質的な旋律の生みの親である奥好義

林広守の部下であり、現在の君が代のメロディを実質的に作曲したとされているのが奥好義です。
奥好義は雅楽の家系に生まれ、日本の伝統音楽に精通していました。
彼は、フェントン版が日本人の感性に合わなかったことを踏まえ、和歌の言葉の響きを活かした旋律を作り上げました。
君が代が、短い歌詞に対して一音一音をゆったりと響かせる構成になっているのは、日本の伝統的な雅楽の音階を取り入れているためです。
この奥好義の工夫により、儀礼にふさわしい静けさと重みを持つメロディが誕生しました。
西洋の荘厳な和声を付けたドイツ人エッケルト

奥好義が作った旋律は、そのままではメロディだけの「単旋律」でした。
これを式典や軍楽隊で演奏できるように伴奏(和声)を付けたのが、ドイツ人の音楽教師フランツ・エッケルトです。
エッケルトは、日本の伝統的なメロディの雰囲気を壊さないように配慮しながら、西洋音楽の和音を丁寧に重ね合わせました。
私たちが耳にする君が代が、明るいとも暗いとも言い切れない独特の荘厳な響きを持っているのは、日本の伝統音楽(奥好義のメロディ)と西洋音楽(エッケルトの和音)が見事に融合しているからです。
君が代の作者に関するよくある質問
- 君が代の作詞者は誰ですか?
君が代の歌詞は『古今和歌集』に収められた和歌に由来しており、作者は「読人しらず(よみびとしらず)」とされています。特定の作詞者名は存在しません。
- 君が代の作曲者は林広守ですか?
多くの資料で林広守の名が作曲者として扱われていますが、彼は雅楽側の責任者としての名義でした。実質的な旋律を作ったのは部下の奥好義とされています。
- 奥好義は君が代にどのように関わったのですか?
現在の君が代につながる、日本独自の雅楽の音階を取り入れた旋律(メロディ)を実質的に作曲した人物です。和歌の響きに合ったゆったりとした曲調を生み出しました。
- ドイツ人のエッケルトは作曲者ですか?
エッケルトはゼロから曲を作ったわけではありません。奥好義が作った日本的な旋律に対し、西洋風の和音(伴奏)を付けて吹奏楽用に編曲し、現在の荘厳な響きを完成させました。
まとめ:君が代の作者と成立の歴史

君が代の作者は、作詞も作曲も特定の誰か一人に絞ることはできません。
- 作詞:『古今和歌集』に由来する「読人しらず」の和歌
- 作曲(旋律):雅楽家の奥好義
- 作曲(名義):雅楽側の責任者である林広守
- 作曲(和声・編曲):ドイツ人音楽家のエッケルト
このように、千年以上の時を超えた和歌に、明治時代の雅楽家と外国人音楽家が協力して命を吹き込んだのが、現在の「君が代」です。
誰か一人が作った曲ではないからこそ、日本の伝統と西洋の技術が重なり合った、重層的で深みのある国歌になったといえます。









